看護師制度
1948年(昭和23)年に保健婦助産婦看護婦法が施行される前、すなわち、看護婦の組織的な養成が確立する以前は、看護婦とは、医師の家に住み込み、医師の診療の補助をする役割をする女性のことでした。
その当時の看護は、医師側が必要と考える範囲のものでしかなく、教科書を書くのも教えるのも医師という時代でした。ですから、医師の手足となって働く、医師の都合に合った小間使いとしての存在を養成しているにすぎなかったのです。
しかし、第二次世界大戦後、日本にやって来たGHQが、敗戦国である日本に対して医療、保健の分野の抜本的な改革を命じました。そのことによって誕生したのが、1948(昭和23)年に施行された保健婦助産婦看護婦法です。
この法律により、組織的な看護教育がなされることとなり、国家資格としての身分も確立されることになりました。この法律は、看護婦の仕事を、診療の補助だけでなく、療養上の世話も合わせて明記されたという点で、とても画期的なものでした。
また、1950(昭和25)年の完全看護制度、1958(昭和33)年の基準看護制度により、看護婦の勤務形態はなるべく3交代制にすること、患者の直接的な看護は看護婦が行うこと、看護記録をつけること、看護に必要な器具や機材を準備することなどが決められ、看護が看護婦の手に任されるようになりました。
このことは今では当たり前に思わていれることですが、それまでは、入院患者の看病は、その家族や付き添いという職業の人によってなされており、そのような人々が病室内に七輪を持ち込み食事の世話などもしていたのです。ですから、それらが廃止されたことで、入院患者の療養上の世話はプロである看護師の手でなされることになったのですが、そのために看病をする人の手が大きく減り、新たにたくさんの看護師を必要とすることとなったです。
このような看護師不足を打開する手段として生まれたのが、准看護婦の制度です。戦後の病院増設で、看護婦の需要が増していたのに反して、当時の保健婦助産婦看護婦法によって、看護婦の資格要件を高卒以上としたため、必要な人数の看護婦を確保することが難しくなりました。そこで苦し紛れに中卒後2年の教育で働く事のできる准看護婦制度を発足させたのです。
看護婦の立場に立つ日本看護協会は、看護の質を向上させ、看護婦の身分を保持するためにも、これまで一貫して准看護婦制度(現在の准看護師制度)の廃止を訴えていますが、一方、医師の立場に立つ日本医師会は人件費の安い准看護婦制度(現在の准看護師制度)を維持する方向で動き続けています。
この攻防は現在でも続いているため、どのような形にまとまるかはまだわかりませんが、現在准看護師として働いている人たちの待遇がよくないのは事実です。昨今では准看護師の採用をしない医療機関も増えてきているため、看護師へとステップアップを図る准看護師が増えています。
更に、法律の名称が保健師助産師看護師法と変わったことにより、男女が同じ看護師と呼ばれることとなったため、男性の看護師も急増しています。ですから、賃金も待遇も低く抑えられている准看護師は廃止の方向に向かっていくと考える人が多いようです。
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