看護師免許の歴史

看護師として仕事をするためには、看護師国家試験に合格し、その証となる看護師免許を厚生労働大臣より交付されなければなりません。国家試験の合格者が免許を申請することにより、看護師籍に登録され、正式に国家資格の取得者と認められることになります。

このように免許を受け行われている看護の仕事ですが、免許制になったのは果たしていつ頃からのことなのでしょうか?

日本で看護を職業として行う人が登録制となったのは、1915年(大正4年)に「看護婦規則」が交付されたころからのようです。

この法律の第2条に「看護婦タラムトスル者ハ18年以上ニシテ左ノ資格ヲ地方長官(東京府ニ於テハ警視総監以下之ニ倣フ)ノ免許ヲ受クルコトヲヨウス。1.看護婦試験ニ合格シタル者 2.地方長官ノ指定シタル学校又ハ講習所ヲ卒業シタル者。地方長官免許ヲ与フルトキハ看護婦免許ヲ下付ス」という条文があります。つまり、これを見ると、試験に合格した人だけでなく、地方長官の指定する学校や講習所を卒業しただけでも免許が与えられていたということがわかります。

当時は、医師が自分たちの都合に合わせて看護婦の教育を行っており、看護婦を養成する施設も乱立していたため、養成機関により看護婦の質はまちまちで、免許は決して看護婦の質を保証する者ではありませんでした。

また、1948年(昭和23年)に施行された保健婦助産婦看護婦法においては、看護婦は甲種と乙種の2種類があると明記されており、甲種看護婦は国家資格、乙種看護婦は都道府県資格であるという記載があります。つまり、甲種看護婦は国から免許を受け、乙種看護婦は都道府県知事より免許を受けて仕事をすると言うことが書かれていたのです。

その後、1951年(昭和26年)の保健婦助産婦看護婦法の一部改正により、甲種、乙種看護婦が一本化され国の免許となり、准看護婦が都道府県知事免許を受ける看護職として新設されました。

その後も法律の一部改正は何度か行われており、名称も保健師助産師看護師法と変わりましたが、免許自体に特段の変化はなく、現在も国の免許としての看護師免許と、都道府県知事免許の准看護師免許の2つが存在しています。しかし、将来的には准看護師が廃止となり、国の免許である看護師に統合されるのではないかと言われています。

東急世田谷線の医師求人
無料であなたの転職相談に対応。まずは最新の求人情報をお問い合わせください。

埼玉県鳩ヶ谷市の看護師求人
アクサスコンサルティングジャパン運営。看護師の転職をサポートする人材紹介サービスです。

八高線の看護師転職
「転職SWOTメディカル」は、医師・看護師・薬剤師の転職に役立つ求人情報を検索できる情報サイトです。